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- 全能の逆説(ぜんのうのぎゃくせつ、英: omnipotence paradox、全能のパラドックス)とは、論理学・哲学・神学等において、全能と論理学的不可能との関係を扱った問題。この逆説は全能者の論理学的矛盾を示しており、極端な例で言えば、全能者は自分自身を《永遠にいかなる意味でも存在しない》ようにすることはできない。他の例で言えば、全能者は「四角い円」や「7+5=75」を成立させることができるように見えるが、それらは論理学的不可能であり、全能者は矛盾している。全能者はどんなことでもなし得る、と考えることは論理学的に正しくない。 もし全能が《論理学を超越した能力》である、または《神(全能者)の論理》であると言うなら、全能とは、「四角い丸」のような形をも作成できる《非論理学的能力》である。この場合、全能についての主張・議論等から論理学を切り捨てることになる。全能者が《論理学を超越した者》である(または《神秘的な「論理」に基づく者》である)とすれば、論理学の外側に居る者(全能者)は、神であっても、悪魔・妖精・見えざるピンクのユニコーン・空飛ぶスパゲッティモンスター等であっても良い。この場合の《全能者》の意味は結局、《非論理学的な者》だからである。 一方、論理学を肯定した上で、全能と論理学が両立するという前提を置くことはできる。この場合、全能とは「論理的に可能なことならなんでもできるが、論理的に不可能なことはできない」という意味になる。 ただし、《論理学を肯定する》ことは《非論理学性を否定する》ことに等しい。そのため、非論理学性や神秘性を肯定することはできなくなる。論理学的疑問・合理主義を切り捨てることもできない。言い換えれば、論理学・合理主義によって批判された事柄(神秘的全能者)について、「神」「奇跡」「超越」等と説明付けたり擁護したりしても、そこに論理学的・合理的正しさは無い。これらの存在は論理学的には否定される。 「神には四角い丸を作る能力がない」と主張してきた人々は、無神論者だけでなく、典型的な信仰者(例えばトマス・アクィナス)たちも居り、彼らは全能者の力に論理学的制限があることを受け入れていた。また、神を全能者とする場合、伝統に反した答えが導かれる。例えば神が全能者として存在しているとすると、神は一切何も必要とせず存在可能なため、神にとって世界や被造物は必要でなく、何かを愛する必要もない。 (ja)
- 全能の逆説(ぜんのうのぎゃくせつ、英: omnipotence paradox、全能のパラドックス)とは、論理学・哲学・神学等において、全能と論理学的不可能との関係を扱った問題。この逆説は全能者の論理学的矛盾を示しており、極端な例で言えば、全能者は自分自身を《永遠にいかなる意味でも存在しない》ようにすることはできない。他の例で言えば、全能者は「四角い円」や「7+5=75」を成立させることができるように見えるが、それらは論理学的不可能であり、全能者は矛盾している。全能者はどんなことでもなし得る、と考えることは論理学的に正しくない。 もし全能が《論理学を超越した能力》である、または《神(全能者)の論理》であると言うなら、全能とは、「四角い丸」のような形をも作成できる《非論理学的能力》である。この場合、全能についての主張・議論等から論理学を切り捨てることになる。全能者が《論理学を超越した者》である(または《神秘的な「論理」に基づく者》である)とすれば、論理学の外側に居る者(全能者)は、神であっても、悪魔・妖精・見えざるピンクのユニコーン・空飛ぶスパゲッティモンスター等であっても良い。この場合の《全能者》の意味は結局、《非論理学的な者》だからである。 一方、論理学を肯定した上で、全能と論理学が両立するという前提を置くことはできる。この場合、全能とは「論理的に可能なことならなんでもできるが、論理的に不可能なことはできない」という意味になる。 ただし、《論理学を肯定する》ことは《非論理学性を否定する》ことに等しい。そのため、非論理学性や神秘性を肯定することはできなくなる。論理学的疑問・合理主義を切り捨てることもできない。言い換えれば、論理学・合理主義によって批判された事柄(神秘的全能者)について、「神」「奇跡」「超越」等と説明付けたり擁護したりしても、そこに論理学的・合理的正しさは無い。これらの存在は論理学的には否定される。 「神には四角い丸を作る能力がない」と主張してきた人々は、無神論者だけでなく、典型的な信仰者(例えばトマス・アクィナス)たちも居り、彼らは全能者の力に論理学的制限があることを受け入れていた。また、神を全能者とする場合、伝統に反した答えが導かれる。例えば神が全能者として存在しているとすると、神は一切何も必要とせず存在可能なため、神にとって世界や被造物は必要でなく、何かを愛する必要もない。 (ja)
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- 全能の逆説(ぜんのうのぎゃくせつ、英: omnipotence paradox、全能のパラドックス)とは、論理学・哲学・神学等において、全能と論理学的不可能との関係を扱った問題。この逆説は全能者の論理学的矛盾を示しており、極端な例で言えば、全能者は自分自身を《永遠にいかなる意味でも存在しない》ようにすることはできない。他の例で言えば、全能者は「四角い円」や「7+5=75」を成立させることができるように見えるが、それらは論理学的不可能であり、全能者は矛盾している。全能者はどんなことでもなし得る、と考えることは論理学的に正しくない。 もし全能が《論理学を超越した能力》である、または《神(全能者)の論理》であると言うなら、全能とは、「四角い丸」のような形をも作成できる《非論理学的能力》である。この場合、全能についての主張・議論等から論理学を切り捨てることになる。全能者が《論理学を超越した者》である(または《神秘的な「論理」に基づく者》である)とすれば、論理学の外側に居る者(全能者)は、神であっても、悪魔・妖精・見えざるピンクのユニコーン・空飛ぶスパゲッティモンスター等であっても良い。この場合の《全能者》の意味は結局、《非論理学的な者》だからである。 (ja)
- 全能の逆説(ぜんのうのぎゃくせつ、英: omnipotence paradox、全能のパラドックス)とは、論理学・哲学・神学等において、全能と論理学的不可能との関係を扱った問題。この逆説は全能者の論理学的矛盾を示しており、極端な例で言えば、全能者は自分自身を《永遠にいかなる意味でも存在しない》ようにすることはできない。他の例で言えば、全能者は「四角い円」や「7+5=75」を成立させることができるように見えるが、それらは論理学的不可能であり、全能者は矛盾している。全能者はどんなことでもなし得る、と考えることは論理学的に正しくない。 もし全能が《論理学を超越した能力》である、または《神(全能者)の論理》であると言うなら、全能とは、「四角い丸」のような形をも作成できる《非論理学的能力》である。この場合、全能についての主張・議論等から論理学を切り捨てることになる。全能者が《論理学を超越した者》である(または《神秘的な「論理」に基づく者》である)とすれば、論理学の外側に居る者(全能者)は、神であっても、悪魔・妖精・見えざるピンクのユニコーン・空飛ぶスパゲッティモンスター等であっても良い。この場合の《全能者》の意味は結局、《非論理学的な者》だからである。 (ja)
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