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  • 藤原 家忠(ふじわら の いえただ、康平5年(1062年) - 保延2年5月14日(1136年6月15日))は、平安時代後期の公卿。関白藤原師実の次男。官位は従一位・左大臣。花山院左大臣と呼ばれ、花山院家の祖となった。異母兄師通の急死に続く甥の忠実失脚後、摂関の候補に上り自身もその地位を望んだが、院近臣藤原顕隆による白河法皇への諫言によって実現する事はなかった。堀河天皇の信頼が厚く、康保5年(1103年)の右近衛大将就任が天皇の強い意向であった事が、『中右記』・『今鏡』に記されている。近年では『大鏡』の増補部分の執筆者を家忠であるとする説もある。
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  • 藤原 家忠(ふじわら の いえただ、康平5年(1062年) - 保延2年5月14日(1136年6月15日))は、平安時代後期の公卿。関白藤原師実の次男。官位は従一位・左大臣。花山院左大臣と呼ばれ、花山院家の祖となった。異母兄師通の急死に続く甥の忠実失脚後、摂関の候補に上り自身もその地位を望んだが、院近臣藤原顕隆による白河法皇への諫言によって実現する事はなかった。堀河天皇の信頼が厚く、康保5年(1103年)の右近衛大将就任が天皇の強い意向であった事が、『中右記』・『今鏡』に記されている。近年では『大鏡』の増補部分の執筆者を家忠であるとする説もある。
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  • 藤原家忠
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