上方下方騒動(うえがたしたがたそうどう)は、江戸時代前期に高鍋藩家老の白井種盛・種重親子の専横が発端となって発生し、40年近くもの長きにわたり続いた騒動である。 当時、白井種重(秋月氏を自称し、秋月又左衛門とも)の一派を上方(うえがた)、対立した坂田大学の一派を下方(したがた)といい、その両派の闘争のことを指していう。