津軽藩士殉難事件(つがるはんしじゅんなんじけん)は、江戸時代後期の文化露寇のさなか北海道知床半島西岸の斜里郡(現北海道斜里町)で発生した大量遭難事件。1807年(文化4年)に江戸幕府は北方警備のため津軽藩士や農民ら約300人を宗谷に派遣し、そのうち斜里へ移動した100人中72人が極寒と栄養不足による浮腫病により死亡し、宗谷でも30人以上が犠牲になったとされる。