洗衣院(せんいいん、またの名を浣衣院)は、金王朝における官設の妓院である。『靖康稗史箋証』の記載によると、靖康の変(1126年)の後、宋の皇太后、皇后、妃嬪、皇女(公主)、宗女、女官、宮女、さらに官吏や平民に至るまでの多数の女性が、遠く金に連行された。一部は現地で洗衣院に入れられて、性的奉仕を強要された。複数の幼い皇女たちも洗衣院で育てられ、成長後に金国人の妻妾、あるいは洗衣院の娼婦となった。