李圭完(イ・ギュワン、り・けいかん、朝鮮語:이규완、1862年11月15日-1946年12月15日)は、朝鮮の軍人、官僚、ならびに日本統治時代の朝鮮の官僚。甲申政変当時、徐載弼とともに政変勢力の武装隊指導者の一人であった。徐載弼とともに日本の士官学校で軍事訓練を受けて帰国したのち宮廷クーデターで行動隊長徐載弼を助け要人を排除する軍事行動を取った。 1910年日韓併合条約以降、朝鮮総督府と日本政府に対し朝鮮人の参政権と自治権を認めるよう主張した。 1907年に、守江原道観察使に任命され、1910年に江原道道長官、1918年咸鏡南道道長官、1919年咸鏡南道知事を務めた。日本亡命中に用いた仮名は圭寬、奎完、走完、日本名は淺田良、淺田良一など。