ビュート伯爵内閣(英語: Bute ministry)は、1762年から1763年までのグレートブリテン王国の内閣。首相は第3代ビュート伯爵。七年戦争の講和条約であるパリ条約の締結に成功したが、勝利したにもかかわらず講和の条件が寛大すぎると見られ、著しい不人気になり、結局辞任を余儀なくされた。ビュート伯爵内閣の閣僚はその後継であるグレンヴィル内閣とほとんど同じであったが、これはイギリス王ジョージ3世がビュート伯を信任していたが彼を留任させられなかったことによる。