黒田 秀俊(くろだ ひでとし、1905年4月15日-1989年6月14日)は、日本のジャーナリスト、社会運動家。 静岡県下田市出身。明治大学中退、明治大学新聞高等研究科修了。1938年中央公論社入社、42年南方派遣、のち「中央公論」編集長となり、44年横浜事件及び改造社、中央公論社解散に遭遇。戦後は原水協事務局長、基地問題文化人懇談会事務局長、日本平和委員会常任理事などを務め、晩年は東京都中野区の教育委員準公選運動などに関わった。