高橋 房次(たかはし ふさじ、1882年12月18日 - 1960年6月29日)は、日本の医師。高木兼寛の「病気を診ずして病人を診よ」の言葉に感銘を受け、北海道白老町で地域医療に貢献した。アイヌも和人も差別せず、貧しい者からは治療代もとらなかった。患者の往診の依頼があれば大雪や吹雪の中でも深夜でも絶対に断らなかった。自身が賞を贈られることについては信条に反することであった。「コタンの赤ひげ」とか「コタンのシュバイツァー」とも呼ばれる。白老小学校に胸像が建てられた。