高橋兼吉(たかはし かねきち、1845年(弘化2年)12月22日-1894年(明治27年)7月5日)は、日本の建築技師。現在の山形県鶴岡市に生まれ、鶴岡周辺において弟子で婿養子の巌太郎とともに、大工として明治初期の擬洋風建築を多く手がけた人物である。