青年日本交響楽団(せいねんにほんこうきょうがくだん)は、昭和期の戦前から終戦直後まで活動した日本のオーケストラ。1936年末に作曲家服部正が中心となって「コンセール・ポピュレール」の名称で創設(「コンセル・ポピュレール」とも呼ばれた)。1940年「青年日本交響楽団」(略称は青響)と改称し、1946年まで活動を続けた。欧文名称はConcert populaire。