阿部 正蔵(あべ しょうぞう、? - 嘉永元年9月4日(1848年9月30日))は、江戸時代後期の旗本で、江戸北町奉行。白河藩阿部家の分家で石高は3000石。官位は従五位下・遠江守。の子。 天保12年(1841年)6月24日に天保の改革時の大坂西町奉行となった。近年物価が騰貴した原因は、株仲間解散令による大坂への物資廻送量の減に起因するとし、問屋商人を通した流通統制強化の提言を行った。天保14年(1843年)2月24日に江戸北町奉行となり、同年10月1日に小姓組番頭に転じた。