阪田 貞明(坂田貞明、さかた さだあき、1875年 - 1923年9月5日)は、日本の都市計画家、官庁土木技術者。東京出身。1919年から、推されて横浜市市区改正局長に転任、1922年の職制改正により同市初代の都市計画局長就任。また水道課長、水道ガス局長まで兼務し、横浜市の都市計画事業に奉じる。1923年、関東大震災発生後復興の最中に病没。震災の際に都市計画の関連資料も焼失、成果は一部しか日の目をみていない。