近藤常子(こんどう つねこ、1893年 - 1963年1月26日)は、岐阜県出身の看護師、日本文化講師、ユーゴスラビアに初めて移住した日本人女性。日本とユーゴスラビアの友好に尽くした。現地名としてマリヤ・スクシェクを名乗った。本名はTsuneko Kondo-Kavese (en) 。マダム・ヤパンカとも呼ばれた。近藤恒子とする資料もある。