草間 滋(くさま しげる、1879年2月25日 - 1936年10月8日)は、日本の病理学者、細菌学者。医学博士(東京帝国大学、1914年)。 長野県出身。独逸協会学校、旧制第一高等学校を経て、1905年に東京帝国大学医科大学卒業、病理学教室にて山極勝三郎の下で病理学を専攻、1908年に伝染病研究所に移り、北里柴三郎の下で細菌学・血清学を学び、実験病理学などの論文を発表した。1910年にドイツのフライブルク大学に留学し、ルートヴィヒ・アショフに師事。ハンブルク熱帯病研究所に転じ、熱帯病学の研究に従事した。1913年に帰国、伝染病研究所技師となったが、1914年北里研究所の創立に参画して部長に就任。1919年に慶応義塾大学医学部が創設されると、教授に就任、病理学を担当するなど、日本における病理細菌学の権威として知られた。 弟の草間偉は土木工学者。

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  • 草間 滋(くさま しげる、1879年2月25日 - 1936年10月8日)は、日本の病理学者、細菌学者。医学博士(東京帝国大学、1914年)。 長野県出身。独逸協会学校、旧制第一高等学校を経て、1905年に東京帝国大学医科大学卒業、病理学教室にて山極勝三郎の下で病理学を専攻、1908年に伝染病研究所に移り、北里柴三郎の下で細菌学・血清学を学び、実験病理学などの論文を発表した。1910年にドイツのフライブルク大学に留学し、ルートヴィヒ・アショフに師事。ハンブルク熱帯病研究所に転じ、熱帯病学の研究に従事した。1913年に帰国、伝染病研究所技師となったが、1914年北里研究所の創立に参画して部長に就任。1919年に慶応義塾大学医学部が創設されると、教授に就任、病理学を担当するなど、日本における病理細菌学の権威として知られた。 弟の草間偉は土木工学者。 (ja)
  • 草間 滋(くさま しげる、1879年2月25日 - 1936年10月8日)は、日本の病理学者、細菌学者。医学博士(東京帝国大学、1914年)。 長野県出身。独逸協会学校、旧制第一高等学校を経て、1905年に東京帝国大学医科大学卒業、病理学教室にて山極勝三郎の下で病理学を専攻、1908年に伝染病研究所に移り、北里柴三郎の下で細菌学・血清学を学び、実験病理学などの論文を発表した。1910年にドイツのフライブルク大学に留学し、ルートヴィヒ・アショフに師事。ハンブルク熱帯病研究所に転じ、熱帯病学の研究に従事した。1913年に帰国、伝染病研究所技師となったが、1914年北里研究所の創立に参画して部長に就任。1919年に慶応義塾大学医学部が創設されると、教授に就任、病理学を担当するなど、日本における病理細菌学の権威として知られた。 弟の草間偉は土木工学者。 (ja)
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  • 草間 滋(くさま しげる、1879年2月25日 - 1936年10月8日)は、日本の病理学者、細菌学者。医学博士(東京帝国大学、1914年)。 長野県出身。独逸協会学校、旧制第一高等学校を経て、1905年に東京帝国大学医科大学卒業、病理学教室にて山極勝三郎の下で病理学を専攻、1908年に伝染病研究所に移り、北里柴三郎の下で細菌学・血清学を学び、実験病理学などの論文を発表した。1910年にドイツのフライブルク大学に留学し、ルートヴィヒ・アショフに師事。ハンブルク熱帯病研究所に転じ、熱帯病学の研究に従事した。1913年に帰国、伝染病研究所技師となったが、1914年北里研究所の創立に参画して部長に就任。1919年に慶応義塾大学医学部が創設されると、教授に就任、病理学を担当するなど、日本における病理細菌学の権威として知られた。 弟の草間偉は土木工学者。 (ja)
  • 草間 滋(くさま しげる、1879年2月25日 - 1936年10月8日)は、日本の病理学者、細菌学者。医学博士(東京帝国大学、1914年)。 長野県出身。独逸協会学校、旧制第一高等学校を経て、1905年に東京帝国大学医科大学卒業、病理学教室にて山極勝三郎の下で病理学を専攻、1908年に伝染病研究所に移り、北里柴三郎の下で細菌学・血清学を学び、実験病理学などの論文を発表した。1910年にドイツのフライブルク大学に留学し、ルートヴィヒ・アショフに師事。ハンブルク熱帯病研究所に転じ、熱帯病学の研究に従事した。1913年に帰国、伝染病研究所技師となったが、1914年北里研究所の創立に参画して部長に就任。1919年に慶応義塾大学医学部が創設されると、教授に就任、病理学を担当するなど、日本における病理細菌学の権威として知られた。 弟の草間偉は土木工学者。 (ja)
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  • 草間滋 (ja)
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