筑紫 信門(つくし のぶかど、慶長13年(1608年) - 延宝6年5月7日(1678年6月25日)))は江戸時代初期から中期の旗本。筑紫氏の当主。諱は信門。松市郎、右近、主水を称す。実父は筑紫広門(上野介)、養父は筑紫広門 (主水正)。実弟は(掃部入道道甫)、重門(左近)、辰門。正室は米沢藩重臣の千坂高信(安芸)の娘。子は筑紫茂門(左大夫)、松下長里(松下長英養子)、娘(跡部昌直妻、後に小野忠老妻)など4男1女。徳川家綱の御守衆支配などを務める。