第1期名人戦(だい1きめいじんせん)は、1975年(昭和50年)第14期の後、主催が読売新聞から朝日新聞に移管され、新たに第1期名人戦として1976年に開始された。新名人戦は旧名人の仕組みを引き継ぎ、第1期は旧名人戦の最後の名人位大竹英雄に、挑決リーグ優勝者石田芳夫が挑戦手合七番勝負を挑むこととなった。七番勝負は大竹が4-1で勝ち、第1期名人となった。 また七番勝負から、対局室のテレビカメラによる撮影が開始30分まで認められるようになった。また宝塚市で行なわれた七番勝負第二局当日は、大阪千里の万博記念公園で囲碁フェスティバルが行われ、この参加者から抽選で二十名が対局を15分間観戦した。