立花 種秀(たちばな たねひで、天和元年(1681年) - 宝暦元年6月9日(1751年7月1日))は江戸時代初中期の旗本。筑後国三池藩主家立花氏の分家。通称は丹下、宮内、監物。養父は立花種澄、実父は(与兵衛)、実母は内藤能登守家臣の今村仁兵衛の娘。正室は種澄の娘。養子は立花達好(立花種久の子)、達好の妻(種澄の娘)、の妻(本家・立花貫長の娘)