立花 直堅(たちばな なおかた、享保7年(1722年) - 明和7年3月9日(1770年4月15日))は、江戸時代中期から後期の旗本。筑後国三池藩主家立花氏の分家の一つである立花甲斐守家5代目当主。通称は求馬、茂十郎、与兵衛。父は立花直員、母は某氏。正室は田中杪泰(半右衛門)の娘。継室は水野忠英(三之助)の娘。養子は立花種寿(の二男)。家禄は蔵米500俵。