穂積 五百枝(ほづみ の いおえ)は、飛鳥時代の人物。姓は臣。穂積咋の子とする系図がある。672年の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)のため兵力動員を行う使者になったが、計略で軍を奪われ大海人皇子(天武天皇)に服した。 名は『日本書紀』に「百枝」と「五百枝」の二種があり、前者は「ももえ」と読まれる。「五」が脱落したもので、五百枝が正しいとする説がある。