祁答院 良重(けどういん よししげ、大永6年(1526年) - 永禄9年1月15日(1566年2月5日))は、戦国時代の武将。城主。通称は又二郎、河内守。祁答院氏13代当主。父は祁答院重武、子に長男(田中と号した)、次男(養子とも)、三男と、娘が一人あった。なお、没年については永禄2年(1559年)没説もある。 桓武平氏秩父党の一派である渋谷氏の一族(血脈としては紀姓大井氏)。北薩摩地方から大隅地方にかけ勢力を拡げ、同じ渋谷一族である東郷氏・入来院氏らと連携し、薩摩国守護である島津氏に時に従い、時に対立を続けた国人。