益田 元固(ますだ もとかた、文化8年(1811年) - 明治8年(1875年)6月25日)は、江戸時代末期の長州藩重臣で、寄組問田益田家(4096石)の7代。 父は益田親愛(親賢)。母は毛利就貞の娘。妻は毛利就任の娘、の娘。子に益田孫槌、三吉周亮、口羽良介、室、室がいる。兄弟には毛利房謙室、毛利房顕室、毛利房嘉室がいる。 長州藩第11代藩主の毛利斉元より偏諱を受けて元固と名乗る。また初名に兼将が伝わる。通称は伊豆、七内で「益田伊豆」、「益田七内」とも称す。号は幽岳。