白川琴水(しらかわ きんすい)は明治時代の漢詩人。本名は幸(さち)、字は友之。飛騨国高山願生寺に生まれ、京都に出て菊池三渓に漢詩を学び、第一高等女学校で教師を務めた後、青木氏に嫁いで名古屋市で没した。 その詩は兪樾の『東瀛詩選』に採られるなど当時の清人に高く評価されたが、死後忘れ去られた。絵画も能くし、『本朝彤史列女伝』では自ら挿絵を描き、願生寺に絵画が残されている。