田辺 健一、田邊 健一(たなべ けんいち、1917年12月10日 - 1985年10月7日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学、特に都市地理学。宮城教育大学名誉教授、東北大学名誉教授。 東京神田生まれ。旧制東京府立五中から旧制浦和高等学校(現埼玉大学)に進学。卒業後東京帝国大学理学部に進んだ。 学生時代に、木内信蔵が主導して行なわれた東京市四谷谷町小住宅密集地区の学際的調査に参加したことを機に、都市地理学研究者として注目され、後には「木内門下生きっての都市地理学者」と評されるに至った。 東北地理学会(1947年創設)発起人のひとり。会長を務めたこともある。 1957年、「酪農業の日本的性格:日本の乳牛飼養の分析からする地理学的到達」により東北大学から理学博士の学位を取得。 1965年の宮城教育大学の東北大学からの分離にともない、1966年に宮城教育大学教授に転じた。 1982年に宮城教育大学を退職した後、1984年4月に同大学から名誉教授を贈られ、さらに9月には東北大学からも名誉教授を贈られた。 愛知大学文学部教授であった1985年10月7日に東京で死去した。 1944年1月17日旧姓小石弘子と結婚。仙台に疎開する。長男好美(よしはる 1945-)、長女さつき(1950-)をもうける。 仙台で国土地理院から東北大学に転出。

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  • 田辺 健一、田邊 健一(たなべ けんいち、1917年12月10日 - 1985年10月7日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学、特に都市地理学。宮城教育大学名誉教授、東北大学名誉教授。 東京神田生まれ。旧制東京府立五中から旧制浦和高等学校(現埼玉大学)に進学。卒業後東京帝国大学理学部に進んだ。 学生時代に、木内信蔵が主導して行なわれた東京市四谷谷町小住宅密集地区の学際的調査に参加したことを機に、都市地理学研究者として注目され、後には「木内門下生きっての都市地理学者」と評されるに至った。 東北地理学会(1947年創設)発起人のひとり。会長を務めたこともある。 1957年、「酪農業の日本的性格:日本の乳牛飼養の分析からする地理学的到達」により東北大学から理学博士の学位を取得。 1965年の宮城教育大学の東北大学からの分離にともない、1966年に宮城教育大学教授に転じた。 1982年に宮城教育大学を退職した後、1984年4月に同大学から名誉教授を贈られ、さらに9月には東北大学からも名誉教授を贈られた。 愛知大学文学部教授であった1985年10月7日に東京で死去した。 1944年1月17日旧姓小石弘子と結婚。仙台に疎開する。長男好美(よしはる 1945-)、長女さつき(1950-)をもうける。 仙台で国土地理院から東北大学に転出。 (ja)
  • 田辺 健一、田邊 健一(たなべ けんいち、1917年12月10日 - 1985年10月7日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学、特に都市地理学。宮城教育大学名誉教授、東北大学名誉教授。 東京神田生まれ。旧制東京府立五中から旧制浦和高等学校(現埼玉大学)に進学。卒業後東京帝国大学理学部に進んだ。 学生時代に、木内信蔵が主導して行なわれた東京市四谷谷町小住宅密集地区の学際的調査に参加したことを機に、都市地理学研究者として注目され、後には「木内門下生きっての都市地理学者」と評されるに至った。 東北地理学会(1947年創設)発起人のひとり。会長を務めたこともある。 1957年、「酪農業の日本的性格:日本の乳牛飼養の分析からする地理学的到達」により東北大学から理学博士の学位を取得。 1965年の宮城教育大学の東北大学からの分離にともない、1966年に宮城教育大学教授に転じた。 1982年に宮城教育大学を退職した後、1984年4月に同大学から名誉教授を贈られ、さらに9月には東北大学からも名誉教授を贈られた。 愛知大学文学部教授であった1985年10月7日に東京で死去した。 1944年1月17日旧姓小石弘子と結婚。仙台に疎開する。長男好美(よしはる 1945-)、長女さつき(1950-)をもうける。 仙台で国土地理院から東北大学に転出。 (ja)
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  • 田辺 健一、田邊 健一(たなべ けんいち、1917年12月10日 - 1985年10月7日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学、特に都市地理学。宮城教育大学名誉教授、東北大学名誉教授。 東京神田生まれ。旧制東京府立五中から旧制浦和高等学校(現埼玉大学)に進学。卒業後東京帝国大学理学部に進んだ。 学生時代に、木内信蔵が主導して行なわれた東京市四谷谷町小住宅密集地区の学際的調査に参加したことを機に、都市地理学研究者として注目され、後には「木内門下生きっての都市地理学者」と評されるに至った。 東北地理学会(1947年創設)発起人のひとり。会長を務めたこともある。 1957年、「酪農業の日本的性格:日本の乳牛飼養の分析からする地理学的到達」により東北大学から理学博士の学位を取得。 1965年の宮城教育大学の東北大学からの分離にともない、1966年に宮城教育大学教授に転じた。 1982年に宮城教育大学を退職した後、1984年4月に同大学から名誉教授を贈られ、さらに9月には東北大学からも名誉教授を贈られた。 愛知大学文学部教授であった1985年10月7日に東京で死去した。 1944年1月17日旧姓小石弘子と結婚。仙台に疎開する。長男好美(よしはる 1945-)、長女さつき(1950-)をもうける。 仙台で国土地理院から東北大学に転出。 (ja)
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  • 田辺健一 (ja)
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