満洲映画協会(まんしゅうえいがきょうかい)は、株式会社満州映画協会法に基づき満州国首都の新京特別市に設立された国策の映画会社。民間では満映の略称で親しまれ、同社の看板スターは李香蘭であった。日本映画界よりP.C.L映画の山梨稔、近藤伊代吉らが参加 1938年6月には旧日活多摩川撮影所所長 根岸寛一が理事として入社 同時にマキノ満男など数十名の製作スタッフを招聘する。その他、東方社の理事長を辞めた岡田桑三(日本デザイン界の大物)もいた。 満映は映画の製作だけでなく、配給・映写業務もおこない各地で映画館の設立、巡回映写なども行った。配給エリアは満洲国内及び日本租界である。中華民国の配給会社は中華電影との合同映画を除いては満映の映画を取り扱わなかった。