清水 真澄(しみず ますみ、1885年 - 1954年)は、高知県土佐郡河内街北門筋(現在の高知市永国寺町)出身で高知市役所に勤務した行政職員。 昭和初期から戦後復興期まで高知市役所で、高知市の都市計画、土木工事に対し都市計画創世記から戦後復興期まで20数年間携わった人物。高知市の土木部長や建設局長を務め、昭和の百々越前と呼ばれた。そして日本最初の沈下橋とされる柳原沈下橋の架橋を推進。