水上 瀧太郎(みなかみ たきたろう、1887年12月6日 - 1940年3月23日)は、日本の小説家、評論家、劇作家、実業家。本名阿部章蔵。「三田文学」発表の「山の手の子」で出発。明治生命保険会社専務、大阪毎日新聞社取締役で長く実業と文学を両立した。強い道義性と文明批評性に特色がある。第2次「三田文学」復刊後は同誌の精神的主幹と呼ばれた。