『槐記』(かいき)とは、18世紀初頭の摂関・太政大臣であった近衛家熙の言行を、その侍医であったが記した日記。はじめは『槐下与聞』と題された。 享保9年(1724年)正月に始まり、享保20年(1735年)正月まで至る。自筆本は明治26年(1893年)に火災にあい、4冊のみが近衛家陽明文庫に残る。公家の文化や学問に関する記述が多く、特に茶の湯や香道、花道に関する文献として重視されている。