榊 順次郎(さかき じゅんじろう、1859年(安政6年) - 1939年11月16日)は、日本の産婦人科医。 沼津藩蘭方医・の次男。兄は榊俶、弟は榊保三郎。1883年東京大学(のち東京帝国大学)医学部別科卒業、ドイツに留学、産科婦人科を研究し、帰国後医学博士。榊産婦人科病院を設立、を設立し校長となる。妻は陸軍獣医監・の娘みの子、息子に医師の榊邦彦、女婿・養子にがいる。 1892年に、脚気の原因を白米中に含まれる毒素に求めた。