森 荘已池(もり そういち、1907年〈明治40年〉5月3日 - 1999年〈平成11年〉3月13日)は、日本の作家。 岩手県盛岡市出身。本名:森 佐一(もり さいち)。旧制盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)、東京外国語学校(現東京外国語大学)ロシア語科中退。岩手日報記者をへて、文筆業へ。岩手県在住で最初の直木賞作家。宮沢賢治と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。 妹の夫である大村次信(写真家大村次郷、考古学者大村幸弘の父)は、盛岡藩で火業師(砲術師)をつとめ、エトロフ島事件に遭遇しロシア人の捕虜となったの子孫にあたる。その縁から、大村家で門外不出の書として伝えられていた治五平の手記『私残記』を託され、1943年6月に現代語訳と解説をつけて大和書店より翻刻出版した。この初版は、当時の出版事情から発行部数は2000部にとどまり、重版もされなかったが、1977年に中公文庫で再刊された。

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  • 森 荘已池(もり そういち、1907年〈明治40年〉5月3日 - 1999年〈平成11年〉3月13日)は、日本の作家。 岩手県盛岡市出身。本名:森 佐一(もり さいち)。旧制盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)、東京外国語学校(現東京外国語大学)ロシア語科中退。岩手日報記者をへて、文筆業へ。岩手県在住で最初の直木賞作家。宮沢賢治と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。 妹の夫である大村次信(写真家大村次郷、考古学者大村幸弘の父)は、盛岡藩で火業師(砲術師)をつとめ、エトロフ島事件に遭遇しロシア人の捕虜となったの子孫にあたる。その縁から、大村家で門外不出の書として伝えられていた治五平の手記『私残記』を託され、1943年6月に現代語訳と解説をつけて大和書店より翻刻出版した。この初版は、当時の出版事情から発行部数は2000部にとどまり、重版もされなかったが、1977年に中公文庫で再刊された。 (ja)
  • 森 荘已池(もり そういち、1907年〈明治40年〉5月3日 - 1999年〈平成11年〉3月13日)は、日本の作家。 岩手県盛岡市出身。本名:森 佐一(もり さいち)。旧制盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)、東京外国語学校(現東京外国語大学)ロシア語科中退。岩手日報記者をへて、文筆業へ。岩手県在住で最初の直木賞作家。宮沢賢治と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。 妹の夫である大村次信(写真家大村次郷、考古学者大村幸弘の父)は、盛岡藩で火業師(砲術師)をつとめ、エトロフ島事件に遭遇しロシア人の捕虜となったの子孫にあたる。その縁から、大村家で門外不出の書として伝えられていた治五平の手記『私残記』を託され、1943年6月に現代語訳と解説をつけて大和書店より翻刻出版した。この初版は、当時の出版事情から発行部数は2000部にとどまり、重版もされなかったが、1977年に中公文庫で再刊された。 (ja)
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