栗崎館(くりさき やかた)は、平安時代末期に武蔵国児玉郡大寄郷若泉庄の栗崎村(現在の埼玉県本庄市栗崎)に築かれた武家館。地理的には武蔵国北西部の国境付近に位置し、北には利根川、南には大久保山(浅見山)がある(本庄台地南部にあたる)。児玉党本宗家4代目である庄太夫家弘が築いたと考えられる。 栗崎地内の堀ノ内25(栗崎区画の中心部100m四方)に堀などの遺構がある(自然堤防)。外堀の範囲は東西約150m、南北約210m。12世紀末では庄太郎家長が上州へ勢力を拡大する際の拠点としていた可能性もある。