柴田 勝敏(しばた かつとし、永禄11年(1568年) - 天正11年5月12日(1583年7月1日))は、安土桃山時代の武将。柴田勝家の養子とも実子ともされる人物で、通称は権六。勝家の嫡子(家督継承予定者)であったという見方もある。諱については勝久(かつひさ)ともされる。