本庄 時長(ほんじょう ときなが、? - 永正6年(1509年))は、戦国時代の武将。本庄房長(三河守)の子。本庄弥次郎、本庄房長(大和守)、、小川長資の父。本庄繁長の祖父にあたる。 揚北衆秩父党の一派本庄氏の当主。に本庄城を築城したことで知られる。守護代の長尾為景が守護の上杉房能を倒し下克上すると、竹俣氏、色部氏と共に反抗しこれに抵抗したが、為景方の中条藤資、らの攻撃により居城を落とされ降伏、その後に時長は本庄城の支城であったに蟄居したが、間もなく没している。この戦いで嫡男の弥次郎を失ったために、時長の後は房長が継いでいる。