木曽三川分流工事(きそさんせんぶんりゅうこうじ)は、1887年(明治20年)から1912年(明治45年)に行われた木曽三川の完全分流を目的とした河川改修。オランダ人技師のヨハニス・デ・レーケが作成した計画をもとに施工された。 工事の名称としては「分流工事」のほかに「改修工事」や「下流改修工事」といった表現も散見され、施工された時期から「明治改修(工事)」「明治治水」とも呼ばれる。また、三川分流を「木曽三川下流の改修で行われた事業の1つ」と位置づけている自治体も存在する。