新月会(しんげつかい)とは、関西学院グリークラブの卒団生(OB)のみで構成される男声合唱団である。 関西学院グリークラブでは結成当初より現役・OB合同で活動することがならわしとなっていた。1934年(昭和9年)になると、現役への指導・支援はこれまで通り継続しつつもOBだけで活動したい、卒団しても歌いたいという声が上がるようになった。前年の競演合唱祭に出演したOB8名(グリーメンエイト)を中心にOB合唱団結成を志すが、同年7月の合宿の際にグリーメンエイトの一人で「メンタルハーモニー」の提唱者であるが急死する。井筒の遺志を受け、残ったグリーメンエイト及び林雄一郎とその同期生とで9月に「新月会」を結成、OBの組織化を図ることとなった。新月会としての初ステージは1935年(昭和10年)1月26日の関西学院グリークラブ第8回曲目発表音楽会で、メンデルスゾーンの「Beati Mortui」(死に行く者は幸いである)を演奏した。戦後の全日本合唱コンクール全国大会では前述のように第1回 - 第3回は現役と合同で出演し、第11回(1958年)、第12回(1959年)では新月会単独で一般部門2年連続優勝を果たす。

Property Value
dbo:abstract
  • 新月会(しんげつかい)とは、関西学院グリークラブの卒団生(OB)のみで構成される男声合唱団である。 関西学院グリークラブでは結成当初より現役・OB合同で活動することがならわしとなっていた。1934年(昭和9年)になると、現役への指導・支援はこれまで通り継続しつつもOBだけで活動したい、卒団しても歌いたいという声が上がるようになった。前年の競演合唱祭に出演したOB8名(グリーメンエイト)を中心にOB合唱団結成を志すが、同年7月の合宿の際にグリーメンエイトの一人で「メンタルハーモニー」の提唱者であるが急死する。井筒の遺志を受け、残ったグリーメンエイト及び林雄一郎とその同期生とで9月に「新月会」を結成、OBの組織化を図ることとなった。新月会としての初ステージは1935年(昭和10年)1月26日の関西学院グリークラブ第8回曲目発表音楽会で、メンデルスゾーンの「Beati Mortui」(死に行く者は幸いである)を演奏した。戦後の全日本合唱コンクール全国大会では前述のように第1回 - 第3回は現役と合同で出演し、第11回(1958年)、第12回(1959年)では新月会単独で一般部門2年連続優勝を果たす。 (ja)
  • 新月会(しんげつかい)とは、関西学院グリークラブの卒団生(OB)のみで構成される男声合唱団である。 関西学院グリークラブでは結成当初より現役・OB合同で活動することがならわしとなっていた。1934年(昭和9年)になると、現役への指導・支援はこれまで通り継続しつつもOBだけで活動したい、卒団しても歌いたいという声が上がるようになった。前年の競演合唱祭に出演したOB8名(グリーメンエイト)を中心にOB合唱団結成を志すが、同年7月の合宿の際にグリーメンエイトの一人で「メンタルハーモニー」の提唱者であるが急死する。井筒の遺志を受け、残ったグリーメンエイト及び林雄一郎とその同期生とで9月に「新月会」を結成、OBの組織化を図ることとなった。新月会としての初ステージは1935年(昭和10年)1月26日の関西学院グリークラブ第8回曲目発表音楽会で、メンデルスゾーンの「Beati Mortui」(死に行く者は幸いである)を演奏した。戦後の全日本合唱コンクール全国大会では前述のように第1回 - 第3回は現役と合同で出演し、第11回(1958年)、第12回(1959年)では新月会単独で一般部門2年連続優勝を果たす。 (ja)
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 3919682 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1063 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 86506113 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:一次資料
  • 2019 (xsd:integer)
prop-ja:単一の出典
  • 2019 (xsd:integer)
dct:subject
rdfs:comment
  • 新月会(しんげつかい)とは、関西学院グリークラブの卒団生(OB)のみで構成される男声合唱団である。 関西学院グリークラブでは結成当初より現役・OB合同で活動することがならわしとなっていた。1934年(昭和9年)になると、現役への指導・支援はこれまで通り継続しつつもOBだけで活動したい、卒団しても歌いたいという声が上がるようになった。前年の競演合唱祭に出演したOB8名(グリーメンエイト)を中心にOB合唱団結成を志すが、同年7月の合宿の際にグリーメンエイトの一人で「メンタルハーモニー」の提唱者であるが急死する。井筒の遺志を受け、残ったグリーメンエイト及び林雄一郎とその同期生とで9月に「新月会」を結成、OBの組織化を図ることとなった。新月会としての初ステージは1935年(昭和10年)1月26日の関西学院グリークラブ第8回曲目発表音楽会で、メンデルスゾーンの「Beati Mortui」(死に行く者は幸いである)を演奏した。戦後の全日本合唱コンクール全国大会では前述のように第1回 - 第3回は現役と合同で出演し、第11回(1958年)、第12回(1959年)では新月会単独で一般部門2年連続優勝を果たす。 (ja)
  • 新月会(しんげつかい)とは、関西学院グリークラブの卒団生(OB)のみで構成される男声合唱団である。 関西学院グリークラブでは結成当初より現役・OB合同で活動することがならわしとなっていた。1934年(昭和9年)になると、現役への指導・支援はこれまで通り継続しつつもOBだけで活動したい、卒団しても歌いたいという声が上がるようになった。前年の競演合唱祭に出演したOB8名(グリーメンエイト)を中心にOB合唱団結成を志すが、同年7月の合宿の際にグリーメンエイトの一人で「メンタルハーモニー」の提唱者であるが急死する。井筒の遺志を受け、残ったグリーメンエイト及び林雄一郎とその同期生とで9月に「新月会」を結成、OBの組織化を図ることとなった。新月会としての初ステージは1935年(昭和10年)1月26日の関西学院グリークラブ第8回曲目発表音楽会で、メンデルスゾーンの「Beati Mortui」(死に行く者は幸いである)を演奏した。戦後の全日本合唱コンクール全国大会では前述のように第1回 - 第3回は現役と合同で出演し、第11回(1958年)、第12回(1959年)では新月会単独で一般部門2年連続優勝を果たす。 (ja)
rdfs:label
  • 新月会 (ja)
  • 新月会 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:homepage
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of