『戚林八音』(せきりんはちおん、福州ローマ字: Chék-lìng-báik-ĭng)は福州地方の著名な音韻書である。『戚参將八音字義便覧』と『太史林碧山先生珠玉同声』の二部の音韻書を合わせたものである。前者の完成は、明代の嘉靖年間(1522年 - 1566年)に武将・戚継光が閩に入って倭寇に抵抗した時代。後者は300年前の清代の康熙年間(1662年 - 1722年)である。作者に関しては、目下のところ、考証研究上、確定していない。両者を合本にまとめたのは、福州の人、晉安匯で、清代の乾隆14年(1749年)のことだった。今日まで250年以上重宝され、福州語の音韻研究上、重要な著作である。

Property Value
dbo:abstract
  • 『戚林八音』(せきりんはちおん、福州ローマ字: Chék-lìng-báik-ĭng)は福州地方の著名な音韻書である。『戚参將八音字義便覧』と『太史林碧山先生珠玉同声』の二部の音韻書を合わせたものである。前者の完成は、明代の嘉靖年間(1522年 - 1566年)に武将・戚継光が閩に入って倭寇に抵抗した時代。後者は300年前の清代の康熙年間(1662年 - 1722年)である。作者に関しては、目下のところ、考証研究上、確定していない。両者を合本にまとめたのは、福州の人、晉安匯で、清代の乾隆14年(1749年)のことだった。今日まで250年以上重宝され、福州語の音韻研究上、重要な著作である。 (ja)
  • 『戚林八音』(せきりんはちおん、福州ローマ字: Chék-lìng-báik-ĭng)は福州地方の著名な音韻書である。『戚参將八音字義便覧』と『太史林碧山先生珠玉同声』の二部の音韻書を合わせたものである。前者の完成は、明代の嘉靖年間(1522年 - 1566年)に武将・戚継光が閩に入って倭寇に抵抗した時代。後者は300年前の清代の康熙年間(1662年 - 1722年)である。作者に関しては、目下のところ、考証研究上、確定していない。両者を合本にまとめたのは、福州の人、晉安匯で、清代の乾隆14年(1749年)のことだった。今日まで250年以上重宝され、福州語の音韻研究上、重要な著作である。 (ja)
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 3977888 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1066 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 73963054 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 『戚林八音』(せきりんはちおん、福州ローマ字: Chék-lìng-báik-ĭng)は福州地方の著名な音韻書である。『戚参將八音字義便覧』と『太史林碧山先生珠玉同声』の二部の音韻書を合わせたものである。前者の完成は、明代の嘉靖年間(1522年 - 1566年)に武将・戚継光が閩に入って倭寇に抵抗した時代。後者は300年前の清代の康熙年間(1662年 - 1722年)である。作者に関しては、目下のところ、考証研究上、確定していない。両者を合本にまとめたのは、福州の人、晉安匯で、清代の乾隆14年(1749年)のことだった。今日まで250年以上重宝され、福州語の音韻研究上、重要な著作である。 (ja)
  • 『戚林八音』(せきりんはちおん、福州ローマ字: Chék-lìng-báik-ĭng)は福州地方の著名な音韻書である。『戚参將八音字義便覧』と『太史林碧山先生珠玉同声』の二部の音韻書を合わせたものである。前者の完成は、明代の嘉靖年間(1522年 - 1566年)に武将・戚継光が閩に入って倭寇に抵抗した時代。後者は300年前の清代の康熙年間(1662年 - 1722年)である。作者に関しては、目下のところ、考証研究上、確定していない。両者を合本にまとめたのは、福州の人、晉安匯で、清代の乾隆14年(1749年)のことだった。今日まで250年以上重宝され、福州語の音韻研究上、重要な著作である。 (ja)
rdfs:label
  • 戚林八音 (ja)
  • 戚林八音 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of