憨山徳清(かんざん とくせい、1546年11月5日 - 1623年1月15日)は、中国明代の高僧。俗姓は蔡氏。字は澄印、号は憨山、法号は徳清。弘覚禅師とも呼ばれる。滁州全椒県の出身。明代の四大高僧(雲棲祩宏・紫柏真可・憨山徳清・蕅益智旭)の一人に数えられている。臨済宗を伝承している。憨山徳清は禅宗の復興に尽くし、紫柏真可と交流があった。 憨山徳清は仏教・儒教・道教に精通しており、三つの思想の融合を主張した。仏教では禅と浄土の両方を修めるように提唱し、禅宗の六祖である慧能大師の考えを継承している。