幸運な事件(英語: Auspicious Incident または Auspicious Event)は、オスマン帝国のスルタン、マフムト2世が1826年6月15日に反乱鎮圧という形でイェニチェリを解体した出来事である。トルコ語においてはイスタンブールでは Vaka-i Hayriye(幸運な事件)、バルカン半島では Vaka-i Şerriyye(不幸な事件)と言う。135,000人いたイェニチェリの大半がマフムト2世に対する反乱に参加したが、反乱が鎮圧されるとその指導者は殺害され、イェニチェリの多くは追放、投獄あるいは処刑された。これによりイェニチェリは解体され、より近代的な西洋式軍隊「ムハンマド常勝軍」に置き換えられた。