山田 吉継(やまだ よしつぐ、宝永2年(1705年) - 明和7年(1771年)5月22日)は、3代山田浅右衛門として江戸時代に公儀御試御用を務めていた剣客である。 通称は角蔵・源蔵、のちに浅右衛門と改名。山田家で最初に俳号を持った。俳号は恵竹庵巖松。