山岸 荷葉(やまぎし かよう、1876年1月29日 - 1945年3月10日)は、日本の小説家、書家、劇評家。本名、惣次郎。 日本橋通油町の丸合小間物問屋(扱い品:鼈甲・朝鮮・眼鏡・鏡・磁針)加賀屋(吉郎兵衛・通称:・屋号:山吉)の次男。雲石と号し、巖谷一六門下の天才書家として知られる。加賀屋を継いだ兄の妻つるの従兄弟に当たる尾崎紅葉の門下に入り、硯友社同人となる。 明治36年(1903年)川上音次郎一座が上演した「ハムレット」の翻案をとともにおこない、ハムレットを葉村年丸とした。明治39年(1906年)には同座にメーテルリンクの「モンナヴァンナ」を翻訳するなど劇界にも活動した。 1945年3月10日の東京大空襲で死去した。

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  • 山岸 荷葉(やまぎし かよう、1876年1月29日 - 1945年3月10日)は、日本の小説家、書家、劇評家。本名、惣次郎。 日本橋通油町の丸合小間物問屋(扱い品:鼈甲・朝鮮・眼鏡・鏡・磁針)加賀屋(吉郎兵衛・通称:・屋号:山吉)の次男。雲石と号し、巖谷一六門下の天才書家として知られる。加賀屋を継いだ兄の妻つるの従兄弟に当たる尾崎紅葉の門下に入り、硯友社同人となる。 明治36年(1903年)川上音次郎一座が上演した「ハムレット」の翻案をとともにおこない、ハムレットを葉村年丸とした。明治39年(1906年)には同座にメーテルリンクの「モンナヴァンナ」を翻訳するなど劇界にも活動した。 1945年3月10日の東京大空襲で死去した。 (ja)
  • 山岸 荷葉(やまぎし かよう、1876年1月29日 - 1945年3月10日)は、日本の小説家、書家、劇評家。本名、惣次郎。 日本橋通油町の丸合小間物問屋(扱い品:鼈甲・朝鮮・眼鏡・鏡・磁針)加賀屋(吉郎兵衛・通称:・屋号:山吉)の次男。雲石と号し、巖谷一六門下の天才書家として知られる。加賀屋を継いだ兄の妻つるの従兄弟に当たる尾崎紅葉の門下に入り、硯友社同人となる。 明治36年(1903年)川上音次郎一座が上演した「ハムレット」の翻案をとともにおこない、ハムレットを葉村年丸とした。明治39年(1906年)には同座にメーテルリンクの「モンナヴァンナ」を翻訳するなど劇界にも活動した。 1945年3月10日の東京大空襲で死去した。 (ja)
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  • 山岸 荷葉(やまぎし かよう、1876年1月29日 - 1945年3月10日)は、日本の小説家、書家、劇評家。本名、惣次郎。 日本橋通油町の丸合小間物問屋(扱い品:鼈甲・朝鮮・眼鏡・鏡・磁針)加賀屋(吉郎兵衛・通称:・屋号:山吉)の次男。雲石と号し、巖谷一六門下の天才書家として知られる。加賀屋を継いだ兄の妻つるの従兄弟に当たる尾崎紅葉の門下に入り、硯友社同人となる。 明治36年(1903年)川上音次郎一座が上演した「ハムレット」の翻案をとともにおこない、ハムレットを葉村年丸とした。明治39年(1906年)には同座にメーテルリンクの「モンナヴァンナ」を翻訳するなど劇界にも活動した。 1945年3月10日の東京大空襲で死去した。 (ja)
  • 山岸 荷葉(やまぎし かよう、1876年1月29日 - 1945年3月10日)は、日本の小説家、書家、劇評家。本名、惣次郎。 日本橋通油町の丸合小間物問屋(扱い品:鼈甲・朝鮮・眼鏡・鏡・磁針)加賀屋(吉郎兵衛・通称:・屋号:山吉)の次男。雲石と号し、巖谷一六門下の天才書家として知られる。加賀屋を継いだ兄の妻つるの従兄弟に当たる尾崎紅葉の門下に入り、硯友社同人となる。 明治36年(1903年)川上音次郎一座が上演した「ハムレット」の翻案をとともにおこない、ハムレットを葉村年丸とした。明治39年(1906年)には同座にメーテルリンクの「モンナヴァンナ」を翻訳するなど劇界にも活動した。 1945年3月10日の東京大空襲で死去した。 (ja)
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  • 山岸荷葉 (ja)
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