尚永王(しょうえいおう、1559年(嘉靖38年) - 1589年1月11日(万暦16年11月25日))は、琉球王国第二尚氏王統の第6代国王(在位1573年 - 1588年)。第5代国王尚元王の第2王子。幼名は阿応理屋恵(あおりやえ)王子。神号は英祖仁耶添按司添(えぞにやすえあじおそい)、または日豊操王。 1572年(隆慶6年)に父王が薨じると、その長男の尚康伯・が正妃の子でなかったため、次男であった尚永が即位した。1579年には明王朝から冊封を受ける。政務に特に見るべきところもなく、1589年1月11日(万暦16年11月25日)に30歳で死去した。嗣子が無かったため、小禄御殿四世の尚寧王(尚真王の長男の浦添王子朝満の曾孫。母は尚永王の妹)が後を継いだ。