寿春三叛(じゅしゅんさんぱん)、または淮南三叛は、三国時代魏の後期、司馬氏が権力を奪取して専制するに及び、軍事的に重要な都市である寿春の司令官が、3度にわたって司馬氏に対して反乱を起こしたことをいう。この3度の反乱は、王淩の乱(251年4月)、毌丘倹・文欽の乱(255年正月)、諸葛誕の乱(257年5月〜258年2月)に分けられる。3度の反乱は、いずれも司馬氏によって平定された。