寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。優しくシャイでいて強じんな博多町人の代表のような人だった。

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  • 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。優しくシャイでいて強じんな博多町人の代表のような人だった。 (ja)
  • 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。優しくシャイでいて強じんな博多町人の代表のような人だった。 (ja)
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  • 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。優しくシャイでいて強じんな博多町人の代表のような人だった。 (ja)
  • 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。優しくシャイでいて強じんな博多町人の代表のような人だった。 (ja)
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  • 寺田健一郎 (ja)
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