宣 允祉(せん いんし 朝鮮語: 선윤지)は、中国明の学者であり、朝鮮氏族の宝城宣氏の始祖である。 中国明から学士として洪武15年に使命を奉じて、高麗に帰化した。王禑時代に湖南按廉使として、全羅道の海岸地方を侵攻する倭寇を掃討しる功績を挙げて、民を安定させた。高麗が亡びる時に官職を捨てて宝城に隠居した。死後、五忠祠に葬られたが、1830年に(純祖30)に宣允祉に対して賜額が下賜された。