守田有秋(もりた ゆうしゅう、1882年3月5日-1954年1月28日)は、日本の評論家、翻訳家。 岡山県出身。本名は文治。東京専門学校中退。1900年山川均と創刊した雑誌『青年の福音』で皇太子の結婚を論じ、不敬罪で3年間入獄。のち東京二六新聞記者となる。