初代 坂東彦三郎(しょだい ばんどう ひこさぶろう、1693年(元禄6年) - 1751年1月27日(寛延4年1月1日))は、歌舞伎役者。屋号は萬屋。俳名に薪水。 大坂の立役篠塚次郎左衛門の甥とも山城国伏見の武士の子とも、また相模国足柄下郡江浦の生まれともいわれる。 最初江戸で篠塚菊松の名で修行する。宝永3年(1706年)11月に大坂篠塚次郎左衛門座でを名乗り、角前髪で拍子事を演じたのが初舞台。翌年11月坂東彦三郎と改める。宝永8年(1711年)11月京都へ上り、同地に留まること2年間、この間所作事、武道、やつし事などで京坂で活躍。 享保14年(1729年)江戸に下り初代坂東又太郎の門に入る。元文5年(1740年)11月江戸に帰り、江戸の大立者として大御所の二代目市川團十郎、初代澤村宗十郎、若手の初代大谷廣次と共に当時の四天王といわれた。

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  • 初代 坂東彦三郎(しょだい ばんどう ひこさぶろう、1693年(元禄6年) - 1751年1月27日(寛延4年1月1日))は、歌舞伎役者。屋号は萬屋。俳名に薪水。 大坂の立役篠塚次郎左衛門の甥とも山城国伏見の武士の子とも、また相模国足柄下郡江浦の生まれともいわれる。 最初江戸で篠塚菊松の名で修行する。宝永3年(1706年)11月に大坂篠塚次郎左衛門座でを名乗り、角前髪で拍子事を演じたのが初舞台。翌年11月坂東彦三郎と改める。宝永8年(1711年)11月京都へ上り、同地に留まること2年間、この間所作事、武道、やつし事などで京坂で活躍。 享保14年(1729年)江戸に下り初代坂東又太郎の門に入る。元文5年(1740年)11月江戸に帰り、江戸の大立者として大御所の二代目市川團十郎、初代澤村宗十郎、若手の初代大谷廣次と共に当時の四天王といわれた。 (ja)
  • 初代 坂東彦三郎(しょだい ばんどう ひこさぶろう、1693年(元禄6年) - 1751年1月27日(寛延4年1月1日))は、歌舞伎役者。屋号は萬屋。俳名に薪水。 大坂の立役篠塚次郎左衛門の甥とも山城国伏見の武士の子とも、また相模国足柄下郡江浦の生まれともいわれる。 最初江戸で篠塚菊松の名で修行する。宝永3年(1706年)11月に大坂篠塚次郎左衛門座でを名乗り、角前髪で拍子事を演じたのが初舞台。翌年11月坂東彦三郎と改める。宝永8年(1711年)11月京都へ上り、同地に留まること2年間、この間所作事、武道、やつし事などで京坂で活躍。 享保14年(1729年)江戸に下り初代坂東又太郎の門に入る。元文5年(1740年)11月江戸に帰り、江戸の大立者として大御所の二代目市川團十郎、初代澤村宗十郎、若手の初代大谷廣次と共に当時の四天王といわれた。 (ja)
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  • 初代 坂東彦三郎(しょだい ばんどう ひこさぶろう、1693年(元禄6年) - 1751年1月27日(寛延4年1月1日))は、歌舞伎役者。屋号は萬屋。俳名に薪水。 大坂の立役篠塚次郎左衛門の甥とも山城国伏見の武士の子とも、また相模国足柄下郡江浦の生まれともいわれる。 最初江戸で篠塚菊松の名で修行する。宝永3年(1706年)11月に大坂篠塚次郎左衛門座でを名乗り、角前髪で拍子事を演じたのが初舞台。翌年11月坂東彦三郎と改める。宝永8年(1711年)11月京都へ上り、同地に留まること2年間、この間所作事、武道、やつし事などで京坂で活躍。 享保14年(1729年)江戸に下り初代坂東又太郎の門に入る。元文5年(1740年)11月江戸に帰り、江戸の大立者として大御所の二代目市川團十郎、初代澤村宗十郎、若手の初代大谷廣次と共に当時の四天王といわれた。 (ja)
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  • 坂東彦三郎 (初代) (ja)
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