圓説(えんせつ、1714年〈正徳4年〉 - 1759年〈宝暦9年〉)は、江戸時代中期の日本の僧。木魚念仏の開祖で京・大坂を中心に活動した。京市中を風雨を別たず寒暑を論ぜず遠近巡杖して首からかけた木魚を叩きながら念仏を唱え歩いた。「法傳寺講」では、日課念仏を授けた者一万五千人に及んだという。そうして京・伏見の法傳寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建し同じく伏見の光月庵を建立し念仏道場を開設して仏法を説いた。 木魚念仏を“浄土一宗”と極めた面目躍如のことであったが、京中の寺院から“異義・異安心”の異端批判が巻き起こった。宝暦の伏見騒動の始まりであった。近世浄土宗史上稀なる事件であった。それが原因で罪を着せられ、配流・所払いにされる。それにもめげず“宝暦事件”(尊皇事件)の最中、大坂の地で北野の宗金寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建した。この重なる尊皇顕彰行為で“極秘”の内に時の天皇、桃園天皇から紫服・紫紋幕および不退山号・木魚院号という称号を下賜された。

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  • 圓説(えんせつ、1714年〈正徳4年〉 - 1759年〈宝暦9年〉)は、江戸時代中期の日本の僧。木魚念仏の開祖で京・大坂を中心に活動した。京市中を風雨を別たず寒暑を論ぜず遠近巡杖して首からかけた木魚を叩きながら念仏を唱え歩いた。「法傳寺講」では、日課念仏を授けた者一万五千人に及んだという。そうして京・伏見の法傳寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建し同じく伏見の光月庵を建立し念仏道場を開設して仏法を説いた。 木魚念仏を“浄土一宗”と極めた面目躍如のことであったが、京中の寺院から“異義・異安心”の異端批判が巻き起こった。宝暦の伏見騒動の始まりであった。近世浄土宗史上稀なる事件であった。それが原因で罪を着せられ、配流・所払いにされる。それにもめげず“宝暦事件”(尊皇事件)の最中、大坂の地で北野の宗金寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建した。この重なる尊皇顕彰行為で“極秘”の内に時の天皇、桃園天皇から紫服・紫紋幕および不退山号・木魚院号という称号を下賜された。 (ja)
  • 圓説(えんせつ、1714年〈正徳4年〉 - 1759年〈宝暦9年〉)は、江戸時代中期の日本の僧。木魚念仏の開祖で京・大坂を中心に活動した。京市中を風雨を別たず寒暑を論ぜず遠近巡杖して首からかけた木魚を叩きながら念仏を唱え歩いた。「法傳寺講」では、日課念仏を授けた者一万五千人に及んだという。そうして京・伏見の法傳寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建し同じく伏見の光月庵を建立し念仏道場を開設して仏法を説いた。 木魚念仏を“浄土一宗”と極めた面目躍如のことであったが、京中の寺院から“異義・異安心”の異端批判が巻き起こった。宝暦の伏見騒動の始まりであった。近世浄土宗史上稀なる事件であった。それが原因で罪を着せられ、配流・所払いにされる。それにもめげず“宝暦事件”(尊皇事件)の最中、大坂の地で北野の宗金寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建した。この重なる尊皇顕彰行為で“極秘”の内に時の天皇、桃園天皇から紫服・紫紋幕および不退山号・木魚院号という称号を下賜された。 (ja)
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  • 木魚念仏一宗 (ja)
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  • 光月庵、法傳寺再建、宗金寺再建。 (ja)
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  • 浄土一宗、木魚念仏開祖 圓説上人 (ja)
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  • 正徳4年1714年 - 宝暦9年1759年(宣明暦) (ja)
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  • 「木魚行脚影と六字名号」 (ja)
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  • 光蓮社觸譽上人鈍性圓説不退大和尚 (ja)
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  • 圓説(えんせつ、1714年〈正徳4年〉 - 1759年〈宝暦9年〉)は、江戸時代中期の日本の僧。木魚念仏の開祖で京・大坂を中心に活動した。京市中を風雨を別たず寒暑を論ぜず遠近巡杖して首からかけた木魚を叩きながら念仏を唱え歩いた。「法傳寺講」では、日課念仏を授けた者一万五千人に及んだという。そうして京・伏見の法傳寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建し同じく伏見の光月庵を建立し念仏道場を開設して仏法を説いた。 木魚念仏を“浄土一宗”と極めた面目躍如のことであったが、京中の寺院から“異義・異安心”の異端批判が巻き起こった。宝暦の伏見騒動の始まりであった。近世浄土宗史上稀なる事件であった。それが原因で罪を着せられ、配流・所払いにされる。それにもめげず“宝暦事件”(尊皇事件)の最中、大坂の地で北野の宗金寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建した。この重なる尊皇顕彰行為で“極秘”の内に時の天皇、桃園天皇から紫服・紫紋幕および不退山号・木魚院号という称号を下賜された。 (ja)
  • 圓説(えんせつ、1714年〈正徳4年〉 - 1759年〈宝暦9年〉)は、江戸時代中期の日本の僧。木魚念仏の開祖で京・大坂を中心に活動した。京市中を風雨を別たず寒暑を論ぜず遠近巡杖して首からかけた木魚を叩きながら念仏を唱え歩いた。「法傳寺講」では、日課念仏を授けた者一万五千人に及んだという。そうして京・伏見の法傳寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建し同じく伏見の光月庵を建立し念仏道場を開設して仏法を説いた。 木魚念仏を“浄土一宗”と極めた面目躍如のことであったが、京中の寺院から“異義・異安心”の異端批判が巻き起こった。宝暦の伏見騒動の始まりであった。近世浄土宗史上稀なる事件であった。それが原因で罪を着せられ、配流・所払いにされる。それにもめげず“宝暦事件”(尊皇事件)の最中、大坂の地で北野の宗金寺(聖武天皇勅願寺・行基上人建立)を再建した。この重なる尊皇顕彰行為で“極秘”の内に時の天皇、桃園天皇から紫服・紫紋幕および不退山号・木魚院号という称号を下賜された。 (ja)
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  • 圓説 (ja)
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