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- 四里餅(しりもち)は、埼玉県飯能市の銘菓で、小判の形状をした大福である。 「四里」の焼き印が入っているのが特徴で、中身はこしあんと粒あんの二種類があり、焼き印の向きによって判別できる。横置に縦の焼印がこし餡。縦置きに縦の焼印が粒あん(いずれも印は縦書き)。 飯能市永田にある「大里屋本店」(明治時代後期開業)など、市内の一部でのみ販売しており、郵送等は行っていない。 その昔、飯能の山奥で伐採された杉、「西川材」(にしかわざい)を江戸へ運ぶ際に、いかだ師達は西川材をいかだに組んで川を下り、その帰りの上り道で饅頭を食べて力をつけたという。 また、名栗川(入間川上流域)の四里の急流を下る際、いかだ師達は餅を食べ、尻餅をつかずに難所を乗り切ったという逸話が残っており、これらの話が由来である。 現在は、約70グラムとやや小振りのサイズだが、かつては約200グラムもあったという。 (ja)
- 四里餅(しりもち)は、埼玉県飯能市の銘菓で、小判の形状をした大福である。 「四里」の焼き印が入っているのが特徴で、中身はこしあんと粒あんの二種類があり、焼き印の向きによって判別できる。横置に縦の焼印がこし餡。縦置きに縦の焼印が粒あん(いずれも印は縦書き)。 飯能市永田にある「大里屋本店」(明治時代後期開業)など、市内の一部でのみ販売しており、郵送等は行っていない。 その昔、飯能の山奥で伐採された杉、「西川材」(にしかわざい)を江戸へ運ぶ際に、いかだ師達は西川材をいかだに組んで川を下り、その帰りの上り道で饅頭を食べて力をつけたという。 また、名栗川(入間川上流域)の四里の急流を下る際、いかだ師達は餅を食べ、尻餅をつかずに難所を乗り切ったという逸話が残っており、これらの話が由来である。 現在は、約70グラムとやや小振りのサイズだが、かつては約200グラムもあったという。 (ja)
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- 四里餅(しりもち)は、埼玉県飯能市の銘菓で、小判の形状をした大福である。 「四里」の焼き印が入っているのが特徴で、中身はこしあんと粒あんの二種類があり、焼き印の向きによって判別できる。横置に縦の焼印がこし餡。縦置きに縦の焼印が粒あん(いずれも印は縦書き)。 飯能市永田にある「大里屋本店」(明治時代後期開業)など、市内の一部でのみ販売しており、郵送等は行っていない。 その昔、飯能の山奥で伐採された杉、「西川材」(にしかわざい)を江戸へ運ぶ際に、いかだ師達は西川材をいかだに組んで川を下り、その帰りの上り道で饅頭を食べて力をつけたという。 また、名栗川(入間川上流域)の四里の急流を下る際、いかだ師達は餅を食べ、尻餅をつかずに難所を乗り切ったという逸話が残っており、これらの話が由来である。 現在は、約70グラムとやや小振りのサイズだが、かつては約200グラムもあったという。 (ja)
- 四里餅(しりもち)は、埼玉県飯能市の銘菓で、小判の形状をした大福である。 「四里」の焼き印が入っているのが特徴で、中身はこしあんと粒あんの二種類があり、焼き印の向きによって判別できる。横置に縦の焼印がこし餡。縦置きに縦の焼印が粒あん(いずれも印は縦書き)。 飯能市永田にある「大里屋本店」(明治時代後期開業)など、市内の一部でのみ販売しており、郵送等は行っていない。 その昔、飯能の山奥で伐採された杉、「西川材」(にしかわざい)を江戸へ運ぶ際に、いかだ師達は西川材をいかだに組んで川を下り、その帰りの上り道で饅頭を食べて力をつけたという。 また、名栗川(入間川上流域)の四里の急流を下る際、いかだ師達は餅を食べ、尻餅をつかずに難所を乗り切ったという逸話が残っており、これらの話が由来である。 現在は、約70グラムとやや小振りのサイズだが、かつては約200グラムもあったという。 (ja)
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