吉川 忠安(きっかわ ただやす、文政7年閏8月28日(西暦1824年10月20日)-明治17年(1884年)10月9日)は、幕末から明治時代初期にかけて活躍した出羽国久保田藩(現、秋田県)の藩士で砲術家、兵法家、平田篤胤の流れを汲む国学者。幕末維新期の久保田藩(秋田藩)で勤王派(「正義派」)を代表する人物で、戊辰戦争における久保田藩の官軍参加に決定的な役割を果たした。