司馬 楚之(しば そし、390年 - 464年)は、東晋の皇族。字は徳秀。本貫は河内郡温県。東晋の武将であった劉裕と対立し、北魏に亡命した。 司馬懿の四男の(魏の東武城侯)の末裔にあたる。玄祖父は東晋の彭城王司馬紘(司馬叔璠の祖父の河間王司馬欽の兄)。高祖父は高密王司馬俊。曾祖父は高密王司馬純之。祖父は高密王司馬恢之。父は司馬栄期。